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2004年5月

2004.05.30

琢磨、フロントローゲット!!!

2004年5月29日、F1第7戦ヨーロッパGPの予選が行われた。そこから、またまたホントビックなニュースが飛び込んできた。F1の日本人記録を次々と更新している琢磨が、とうとうフロントローをゲットしたというのだ。予選2番手は日本人初、日本の若き天才レーサーはニュルブルクでどんな奇跡をみせてくれるのだろうか。

予備予選ではただ一人1分27秒台にのせるスーパーラップを刻み、いわゆる”暫定ポールポジション”をマークした。琢磨は、初めての異次元のタイムゾーンを、その体に刻みつけたに違いない。そして挑んだ予選本番も、大トリという20人目のドライバーでコースインというプレッシャーを感じさせず、冷静に路面コンディションを読み取り、フルアタックをかけた。そして堂々の2番手タイムを叩き出したのだ。凄い、凄すぎる。

モナコGPでは、BARホンダの僚友バトンが勝利まであと0.497秒のところまで迫った。次は琢磨だ。目指す頂点は手の届くところにある。前は大きく開けている。思い切りいくだけだ。最前列に並んだ者だけにそれは許される。いけ、頂点を目指して!!!

決勝での奇跡のドラマを我々は待ってるぜ!!!

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2004.05.17

検索窓を設置しました。

Google検索とココログル検索の窓を設置しました。

設置方法を書き留めておきますのでご利用くださいませm(._.)m

まずは、マイリストの新規作成で、リストのタイプ:リンクを選択し、リストの名前:検索窓とか便利帳とか適当な名前を付けて、リストの新規作成をしてください。これでマイリストに新たなリストが登録されます。次にそのリストををクリックして管理画面に進み、項目を登録してください。

Google検索の登録方法は、新しいリンクの登録でURLにhttp://www.google.co.jpを入れて追加ボタンを押します。タイトルをGoogle検索等に書き換えます。メモ欄に記載する内容は以下のとおりですのでコピー&ペーストしてください。保存して反映ボタンを押すとGoogle検索を登録できます。サイトを表示して確認してください。

<form action="http://www.google.co.jp/search" target="_blank">
<div style="font-size: small;">
<input type="text" name="q" size="15" maxlength="255" value="" />
<input type="hidden" name="hl" value="ja" />
<input type="hidden" name="ie" value="utf-8" />
<input type="submit" name="btnG" value="検索" /><br />
<input type="radio" name="q" value="" checked="checked" />ウェブ全体から検索<br />
<input type="radio" name="q" value='"ココログ: blogサービス"' />ココログ全体から検索<br />
<input type="radio" name="q" value="yoursite" />このココログ内を検索<br />
</div></form>


// 注意点//
このソースは私なりにアレンジしたものです。もっと良い方法がありましたらコメントお願いします。
ココログ: blogサービスPowered by ココログに書き換えないと検索出来ないココログがあります。これはココログのバナーに埋め込まれてる文字が新旧ふたつ存在するためです。新バナーがココログ: blogサービスで旧バナーがPowered by ココログとなります。ここでは新バナー対応版のソースを載せてあります。旧バナー対応版にするにはココログ: blogサービスPowered by ココログに書き換えてください。
yoursiteはご自身のココログアドレスに書き換えてください。
また、設置するときは改行をなくして一行の続いたソースとして記述してください。

ココログル検索の登録方法は、新しいリンクの登録でURLにhttp://web.or.tvを入れて追加ボタンを押します。タイトルをココログル検索等に書き換えます。メモ欄に記載する内容は以下のとおりですのでコピー&ペーストしてください。保存して反映ボタンを押すとココログル検索を登録できます。サイトを表示して確認してください。

<form name="cocologuru"action="http://202.222.30.11/coco/scgi/ksearch.cgi" target="_blank">
<div style="font-size: small;">
<input type="text" size="15" name="k" value="" />
<input type="submit" value="検索" /><br />
<input type="hidden" name="en" value="2" />
<input type="radio" name="site" value="" checked="checked" />ココログ全体から検索<br />
<input type="radio" name="site" value="yoursite" />このココログ内を検索<br />
</div></form>


// 注意点//
このソースは私なりにアレンジしたものです。もっと良い方法がありましたらコメントお願いします。
yoursiteはご自身のココログアドレスに書き換えてください。
また、設置するときは改行をなくして一行の続いたソースとして書き換えてください。

以上です。

これは、ココログ内をいろいろと物色して見つけたものを、自分なりにアレンジしたものです。皆様のなにかのお役に立てれば幸いだと思っています。

なお、Google検索の「ココログ全体から検索」とココログル検索の「ココログ全体から検索」の違いはココログル検索で検索出来ない古い情報をGoogle検索で検索出来るところにあります。用途に合わせて使い分けしていただければと思います。

※ちなみに私の場合は、両方とも検索窓に載せています。その代わり、Google検索で「このココログ内を検索」の項目を削除して運用しています。また、旧バナー『Powered by ココログ』と新バナー『ココログ: blogサービス』の両方に対応するためGoogle検索の「ココログ全体から検索」をふたつに分けて運用しております。ご参考までに(^_-)


最後にココログで情報提供してくださった全ての方へ感謝を込めて

     ありがとうございましたm(._.)m

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2004.05.15

なぜ、親指シフトなのか?

私はなぜ、親指シフトを好んで使うのだろうか。今回は親指シフトへ移行した過程を書いてみることにした。

初めてワープロやパソコンという機械に触れたのは二十歳の時である。すでに社会人として生活していた私は部内の訓練なるものを一年間受けた。そのときにパソコンの授業があってNECのPC(ビジネス仕様)を使っていたのだ。当時はまだMS-DOSで動くソフトを使っているパソコンではなく、NECの独自仕様のOSと自社開発のワープロや表計算などのソフトを使用してたように思う。

このときはJISかなで打っていたがこれがとても苦痛だったのである。なにしろどこに目的のキーがあるのか探しながら打っていくという行為は正直疲れるだけ、みんなはこんなことを当たり前のようにやっているのかと思うだけで嫌になったものだ。その当たり前のように打っていたように見えたみんなも、本当はそれしかないからしょうがなく打っていたという事実を知ったときは、あぁ、自分だけじゃなかったんだと思って正直嬉しかった。

高校時代には英文タイプライターで英語のノートを書いてた私にとっては、こんな苦痛を味わうよりローマ字入力へ移行するのが自然の流れであった。日本語をローマ字に変えて打つくらい、それまでの苦痛を考えると全然楽なものだった。とはいえ、やはり日本語を日本語で打てないというのは不自然である。そもそも単なる清書道具として使うならまだしも、言葉を考えながらなおかつローマ字に変える作業まで頭の中で行うのは非効率的である。日本人がキーボード嫌いになる理由が分かる気がした。だから、当時のパソコンやワープロというものは考える道具としては不適当であって単なる清書マシンなのだといつも自分に言い聞かせていた。

ところが論文を提出しなければいけなくなり事情は一変した。考える道具としてあのPCを使わなければならないのか、しかもPCの台数が限られていたので自分が使える時間もそう多くはない。これには本当に困った。周りの人たちはどんどん論文を打ち始めていたがひとり取り残されているような気がしたものだ。そんなときに、ワープロ専用機を個人で持っている友人が自分はもう打ち終えたから使っていいよっていってくれた。

それがOASYS LiteF-ROM9という親指シフトキーボードのワープロ専用機だったのである。このキーボードを見たときの衝撃は凄まじいものがあった。配列が違うキーボードがあるなんてそんな話は聞いてないよって、それにこの奇妙な親指シフトキーとは一体何って、ホントびっくりしたのを鮮明に記憶している。好奇心旺盛な私はすぐに友人に使い方を教わった。そして打ち始めるとなんかいい感じ、いい万年筆で文字を書くときのように手に馴染むというか、ともかくあれほど苦痛や違和感だらけだったキーボード入力が、まるで別世界へ連れてこられたぐらいに違うのだ。この心地よさは私の感覚をビシビシ刺激してくれた。あぁ、これこそが考える道具なのだと心底思った。そしてなんと私は、初めて親指シフトキーボードを触って数時間という速さで、みんなが苦労して打っていた論文を書き上げてしまったのだ。

こんな経緯があって、自分用の最初のマシンとしてOASYS 30-SF(親指シフトキーボード)を購入するにいたったのである。その後は私の側にはいつも親指シフトキーボードがあった。もはやこれなしでは文章を紡ぐ作業など考えられなかったのである。

その後、購入したマシンは次のとおりである。
FMR-50NB1(MS-DOSを学ぶ。ワープロソフトとしてはFM-OASYSを愛用)
OASYS 30-LX605(NIFTY-Serveデビュー、最初のパソコン通信マシン)
INTERTop model 20R(インターネットデビュー。最初のモバイルマシン)
FMV-BIBLO DC model16NA3(本格的にパソコンを使い始めた最初のマシン)
FMV-BIBLO MC3/45(現在でも愛用中のモバイルマシン)
FMV-LIFEBOOK 7000NA4(現在の仕事用のメインマシン)
OASYS 30-AX401(いつかは手に入れたかった、つまり欲しかったマシン)

そして、現在所有しているノートパソコンは次のとおりである。
INTERTop model 20R(現在は妻のゲーム機と化している(^^;)
FMV-BIBLO MC3/45(Air"H"刺しっぱなしのモバイルマシン)
FMV-LIFEBOOK 7000NA4(無線LANにて運用中のメインマシン)
 
現在所有してるワープロ専用機OASYSは次のとおりである。
OASYS 30-LX605×2台(FAXモデム内蔵、AutoCom内蔵の高性能マシン)
OASYS 30-AX401×2台(トランスポータブルという形状がとても好きなマシン)

もちろんすべて親指シフトキーボード搭載である。
なお、MCとNAにはOASYS 2002とJapanist 2003がインストールされている。
ITにはOASYSライクなエディタとOAKがインストールされている。
つまり、全ての環境で、使い心地抜群なキーボードとOASYS専用機と同等の使い勝手が実現されているのだ。

最後に、最近とても面白い試みをしてるサイトを見つけた。共感できる部分も多いので紹介しておく。
新親指シフト配列「飛鳥」

親指シフトの配列に疑問を持つあたりは非常にいいのだが、いかんせん、私にはタッチタイピングしてみてしっくりこなかったのである。あのときの別世界に連れて行かれた衝撃は残念ながらなかったということだけは追記しておこう。

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2004.05.09

琢磨は凄い、日本人最高の予選3番手をゲット!!!

2004年5月8日、F1第5戦スペインGPの予選が行われた。そこからビッグなニュースが飛び込んできた。BARホンダの佐藤琢磨が3番手をゲットしたというのだ。これは自らの記録を超え日本人最上位グリットを更新したことになる。琢磨23戦目、この日、世界で3番目に速い男になった。表彰台はもちろんのこと優勝をも狙える位置にようやく辿り着いたのだ。スタートに定評がある琢磨、タイミングさえ合えば逃げも打てる。あとはタイヤとシャーシのパフォーマンスを存分に使い切るのみ、表彰台のトップを目指してさぁスタートだ。

5月9日、我々は「カタロニアの奇跡」を目撃する!!!

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2004.05.08

セナの軌跡~激突死から10年~

「音速の貴公子」アイルトン・セナ・ダ・シルバの生涯★

<デビュー前>
●1960年3月21日
ブラジルのサンパウロに生まれる。
家族は自動車整備工場を営む父ミルトン、母ネイジ、姉ビビアン、弟レオナルド
ブラジルにおいては比較的裕福な家庭環境のもとで育ったといえる。
レースとの出会いは4歳、父からプレゼントされた手製のゴーカートで競争に熱中。
●1973年
インテルラゴスのカートレースで優勝。
ブラジル選手権を4回、南米選手権を2回制覇、「南米では敵なし」といわれた。
●1981年
家族の反対を押し切りヨーロッパへ渡る。速く走るための才能と、人一倍の努力で英国でもすぐに頭角を現す。
F・フォード1600で20戦12勝、18回表彰台に上がり、国内選手権を制覇。
●1982年
FF2000で27戦21勝、英国とヨーロッパの2選手権のチャンピオンになる。
●1983年
F1の登竜門といわれるカテゴリーにステップアップ。
英国F3で20戦12勝、ライバルのマーチン・ブランドルを下し、チャンピオンになる。
また、F3のマカオGPでもポールポジション(PP)を含む完全優勝。
「10年に一人の逸材」といわれる。
F2(現在のF3000に当たる)を飛び越しF1へ、いよいよ世界へ羽ばたくことになった。

<1984年>
トールマン・ハート ランキング9位(13ポイント)
ワールドチャンピオン=N.ラウダ(マクラーレン)
世界で最も難しいとされるモンテカルロサーキット。このモナコGPでは絶望的な13グリット、そして大雨という最悪のコンディションながら驚異的な追い上げを見せ、次々と強豪たちをパスして2位に上がった。このレースは中盤に雨で中断され2位に終わったが、続行していたらトップのプロストをとらえるのは時間の問題だったと語り繋がれている。これこそが幻の初優勝であり、モナコマイスター伝説の序章でもある。

<1985年>
ロータス・ルノー ランキング4位(38ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(マクラーレン)
第2戦ポルトガルGPで自身初となるポールポジション(PP)獲得。また、モナコ以上の大雨となった決勝では異次元の走りを見せ、圧倒的な大差でF1初優勝を果たした。これこそが前人未到の65回のポールポジション劇の幕開けであり、雨のセナ伝説の誕生の瞬間でもある。
成績:PP7回、優勝2回

<1986年>
ロータス・ルノー ランキング4位(55ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(マクラーレン)
成績:PP8回(通算15回)、優勝2回(通算4勝)

<1987年>
ロータス・ホンダ ランキング3位(57ポイント)
ワールドチャンピオン=N.ピケ(ウィリアムズ)
成績:PP1回(通算16回)、優勝2回(通算6勝)

<1988年>
マクラーレン・ホンダ ランキング1位(90ポイント)
ワールドチャンピオン=A.セナ(マクラーレン)
念願のワールドチャンピオンに。セナはとうとうF1の頂点に到達した。
成績:PP13回(通算29回)、優勝8回(通算14勝)

<1989年>
マクラーレン・ホンダ ランキング2位(60ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(マクラーレン)
成績:PP13回(通算42回)、優勝6回(通算20勝)

<1990年>
マクラーレン・ホンダ ランキング1位(78ポイント)
ワールドチャンピオン=A.セナ(マクラーレン)
2度目のワールドチャンピオン獲得
成績:PP10回(通算52回)、優勝6回(通算26勝)

<1991年>
マクラーレン・ホンダ ランキング1位(96ポイント)
ワールドチャンピオン=A.セナ(マクラーレン)
8月5日に敬愛していた本田宗一郎氏が死去。その4日後に開幕した第10戦ハンガリーGPでは喪章をつけて予選のポールポジション(PP)を含む完全勝利。見事に弔い合戦を制したセナはそのままの勢いで、宗一郎氏に捧げる3度目のワールドチャンピオンとなった。
成績:PP8回(通算60回)、優勝7回(通算33勝)

<1992年>
マクラーレン・ホンダ ランキング4位(50ポイント)
ワールドチャンピオン=N.マンセル(ウィリアムズ)
ハイテクで完全武装したウィリアムズ・ルノーを驅る「無冠の帝王」荒法師の異名を持つN.マンセルがグランプリを圧倒、そんな苦境だけになおさらセナのドライビングが光った。その象徴とも言えるのがモナコGPでのマンセルとの死闘である。残り、8周、マンセルがタイヤ交換でピットインした機会にセナがトップに出た。ラップタイムで1秒以上も上回るマンセルがあっという間に追いつき、猛チャージをかけたが、そこはモナコ、モンテカルロ、抜けそうでも絶対抜けない。セナがホンダパワーを生かし、グリップを失ったタイヤで猛攻をしのぎ、見事に優勝を飾った。これこそセナがモナコマイスターと言われる所以であり、いまだに語りぐさになっている伝説である。
成績:PP1回(通算61回)、優勝3回(通算36勝)

<1993年>
マクラーレン・フォード ランキング2位(73ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(ウィリアムズ)
ホンダがF1を休止し、エンジンがフォードに変わり、プロフェッサーの異名を持つプロストが復帰したウィリアムズ、進化し続けるM.シューマッハーのベネトンと比べるとマシン的には苦しくなったが、それでもセナは常に第一人者の貫祿を見せつけた。第3戦ヨーロッパGP(英国ドニントンパーク)では、セナは雨の中で幅寄せされて4番手から5番手に落ちながら、1周目にベンドリンガー、シューマッハー、ヒル、プロストをずばずばと追い抜いてなんと優勝してしまう。このオープニングラップはF1史上最も偉大な瞬間として、あまりに劇的なその走りは伝説となっている。
成績:PP1回(通算62回)、優勝5回(通算41勝)

<1994年>
ウィリアムズ・ルノー ランキング 位(  ポイント)
ワールドチャンピオン=M.シューマッハー(ベネトン)
第3戦サンマリノGP、前人未到の65回目のポールポジション(PP)からスタートしたセナは、事故による再スタートから7周目、シューマッハーの目前でタンブレロコーナーに激突。偉大なドライバーの死がイモラサーキットに伝わりその衝撃が世界中を駆け巡ったのは、皮肉にもシューマッハーの開幕3連勝を祝うセレモニーも済んだ夕方であった。
成績:PP  回(通算  回)、優勝  回(通算  勝)

<199x年>
フェラーリ ランキング 位(  ポイント)
セナはフェラーリのF1ドライバーになることが夢だった。
成績:PP  回(通算  回)、優勝  回(通算  勝)

<199x年>
ホンダ ランキング 位(  ポイント)
F1活動を休止するホンダの責任者に、別れ際「自分はまだ若いからもう一度ホンダに乗せてくれ。」といったらしい...
成績:PP  回(通算  回)、優勝  回(通算  勝)

<セナに捧げる>
伝説になった音速の貴公子アイルトン・セナ・ダ・シルバは我々の心の中で生き続けている。ミハエル・シューマッハーがほとんどの記録を塗り替えて史上最高のドライバーの名誉を得た今でも、セナの記憶は色あせることはない。それどころか、ますます輝きを増してくるだ。あの悲劇からはや10年がたつが、悲しみ自体は時とともに鎮まることもあるかもしれないが傷跡は消えようがない。だからこそセナの記憶を心の中で大事にし続けるのだろう。イモラサーキットがF1カレンダーから消える日が来ても5月1日という特別な日を我々は決して忘れはしない。

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