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2004.05.08

セナの軌跡~激突死から10年~

「音速の貴公子」アイルトン・セナ・ダ・シルバの生涯★

<デビュー前>
●1960年3月21日
ブラジルのサンパウロに生まれる。
家族は自動車整備工場を営む父ミルトン、母ネイジ、姉ビビアン、弟レオナルド
ブラジルにおいては比較的裕福な家庭環境のもとで育ったといえる。
レースとの出会いは4歳、父からプレゼントされた手製のゴーカートで競争に熱中。
●1973年
インテルラゴスのカートレースで優勝。
ブラジル選手権を4回、南米選手権を2回制覇、「南米では敵なし」といわれた。
●1981年
家族の反対を押し切りヨーロッパへ渡る。速く走るための才能と、人一倍の努力で英国でもすぐに頭角を現す。
F・フォード1600で20戦12勝、18回表彰台に上がり、国内選手権を制覇。
●1982年
FF2000で27戦21勝、英国とヨーロッパの2選手権のチャンピオンになる。
●1983年
F1の登竜門といわれるカテゴリーにステップアップ。
英国F3で20戦12勝、ライバルのマーチン・ブランドルを下し、チャンピオンになる。
また、F3のマカオGPでもポールポジション(PP)を含む完全優勝。
「10年に一人の逸材」といわれる。
F2(現在のF3000に当たる)を飛び越しF1へ、いよいよ世界へ羽ばたくことになった。

<1984年>
トールマン・ハート ランキング9位(13ポイント)
ワールドチャンピオン=N.ラウダ(マクラーレン)
世界で最も難しいとされるモンテカルロサーキット。このモナコGPでは絶望的な13グリット、そして大雨という最悪のコンディションながら驚異的な追い上げを見せ、次々と強豪たちをパスして2位に上がった。このレースは中盤に雨で中断され2位に終わったが、続行していたらトップのプロストをとらえるのは時間の問題だったと語り繋がれている。これこそが幻の初優勝であり、モナコマイスター伝説の序章でもある。

<1985年>
ロータス・ルノー ランキング4位(38ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(マクラーレン)
第2戦ポルトガルGPで自身初となるポールポジション(PP)獲得。また、モナコ以上の大雨となった決勝では異次元の走りを見せ、圧倒的な大差でF1初優勝を果たした。これこそが前人未到の65回のポールポジション劇の幕開けであり、雨のセナ伝説の誕生の瞬間でもある。
成績:PP7回、優勝2回

<1986年>
ロータス・ルノー ランキング4位(55ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(マクラーレン)
成績:PP8回(通算15回)、優勝2回(通算4勝)

<1987年>
ロータス・ホンダ ランキング3位(57ポイント)
ワールドチャンピオン=N.ピケ(ウィリアムズ)
成績:PP1回(通算16回)、優勝2回(通算6勝)

<1988年>
マクラーレン・ホンダ ランキング1位(90ポイント)
ワールドチャンピオン=A.セナ(マクラーレン)
念願のワールドチャンピオンに。セナはとうとうF1の頂点に到達した。
成績:PP13回(通算29回)、優勝8回(通算14勝)

<1989年>
マクラーレン・ホンダ ランキング2位(60ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(マクラーレン)
成績:PP13回(通算42回)、優勝6回(通算20勝)

<1990年>
マクラーレン・ホンダ ランキング1位(78ポイント)
ワールドチャンピオン=A.セナ(マクラーレン)
2度目のワールドチャンピオン獲得
成績:PP10回(通算52回)、優勝6回(通算26勝)

<1991年>
マクラーレン・ホンダ ランキング1位(96ポイント)
ワールドチャンピオン=A.セナ(マクラーレン)
8月5日に敬愛していた本田宗一郎氏が死去。その4日後に開幕した第10戦ハンガリーGPでは喪章をつけて予選のポールポジション(PP)を含む完全勝利。見事に弔い合戦を制したセナはそのままの勢いで、宗一郎氏に捧げる3度目のワールドチャンピオンとなった。
成績:PP8回(通算60回)、優勝7回(通算33勝)

<1992年>
マクラーレン・ホンダ ランキング4位(50ポイント)
ワールドチャンピオン=N.マンセル(ウィリアムズ)
ハイテクで完全武装したウィリアムズ・ルノーを驅る「無冠の帝王」荒法師の異名を持つN.マンセルがグランプリを圧倒、そんな苦境だけになおさらセナのドライビングが光った。その象徴とも言えるのがモナコGPでのマンセルとの死闘である。残り、8周、マンセルがタイヤ交換でピットインした機会にセナがトップに出た。ラップタイムで1秒以上も上回るマンセルがあっという間に追いつき、猛チャージをかけたが、そこはモナコ、モンテカルロ、抜けそうでも絶対抜けない。セナがホンダパワーを生かし、グリップを失ったタイヤで猛攻をしのぎ、見事に優勝を飾った。これこそセナがモナコマイスターと言われる所以であり、いまだに語りぐさになっている伝説である。
成績:PP1回(通算61回)、優勝3回(通算36勝)

<1993年>
マクラーレン・フォード ランキング2位(73ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(ウィリアムズ)
ホンダがF1を休止し、エンジンがフォードに変わり、プロフェッサーの異名を持つプロストが復帰したウィリアムズ、進化し続けるM.シューマッハーのベネトンと比べるとマシン的には苦しくなったが、それでもセナは常に第一人者の貫祿を見せつけた。第3戦ヨーロッパGP(英国ドニントンパーク)では、セナは雨の中で幅寄せされて4番手から5番手に落ちながら、1周目にベンドリンガー、シューマッハー、ヒル、プロストをずばずばと追い抜いてなんと優勝してしまう。このオープニングラップはF1史上最も偉大な瞬間として、あまりに劇的なその走りは伝説となっている。
成績:PP1回(通算62回)、優勝5回(通算41勝)

<1994年>
ウィリアムズ・ルノー ランキング 位(  ポイント)
ワールドチャンピオン=M.シューマッハー(ベネトン)
第3戦サンマリノGP、前人未到の65回目のポールポジション(PP)からスタートしたセナは、事故による再スタートから7周目、シューマッハーの目前でタンブレロコーナーに激突。偉大なドライバーの死がイモラサーキットに伝わりその衝撃が世界中を駆け巡ったのは、皮肉にもシューマッハーの開幕3連勝を祝うセレモニーも済んだ夕方であった。
成績:PP  回(通算  回)、優勝  回(通算  勝)

<199x年>
フェラーリ ランキング 位(  ポイント)
セナはフェラーリのF1ドライバーになることが夢だった。
成績:PP  回(通算  回)、優勝  回(通算  勝)

<199x年>
ホンダ ランキング 位(  ポイント)
F1活動を休止するホンダの責任者に、別れ際「自分はまだ若いからもう一度ホンダに乗せてくれ。」といったらしい...
成績:PP  回(通算  回)、優勝  回(通算  勝)

<セナに捧げる>
伝説になった音速の貴公子アイルトン・セナ・ダ・シルバは我々の心の中で生き続けている。ミハエル・シューマッハーがほとんどの記録を塗り替えて史上最高のドライバーの名誉を得た今でも、セナの記憶は色あせることはない。それどころか、ますます輝きを増してくるだ。あの悲劇からはや10年がたつが、悲しみ自体は時とともに鎮まることもあるかもしれないが傷跡は消えようがない。だからこそセナの記憶を心の中で大事にし続けるのだろう。イモラサーキットがF1カレンダーから消える日が来ても5月1日という特別な日を我々は決して忘れはしない。

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ゆえあって、家財整理をしている。 山のようにある、書籍と雑誌を何とかしなくてはな [続きを読む]

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