F1

2004.05.30

琢磨、フロントローゲット!!!

2004年5月29日、F1第7戦ヨーロッパGPの予選が行われた。そこから、またまたホントビックなニュースが飛び込んできた。F1の日本人記録を次々と更新している琢磨が、とうとうフロントローをゲットしたというのだ。予選2番手は日本人初、日本の若き天才レーサーはニュルブルクでどんな奇跡をみせてくれるのだろうか。

予備予選ではただ一人1分27秒台にのせるスーパーラップを刻み、いわゆる”暫定ポールポジション”をマークした。琢磨は、初めての異次元のタイムゾーンを、その体に刻みつけたに違いない。そして挑んだ予選本番も、大トリという20人目のドライバーでコースインというプレッシャーを感じさせず、冷静に路面コンディションを読み取り、フルアタックをかけた。そして堂々の2番手タイムを叩き出したのだ。凄い、凄すぎる。

モナコGPでは、BARホンダの僚友バトンが勝利まであと0.497秒のところまで迫った。次は琢磨だ。目指す頂点は手の届くところにある。前は大きく開けている。思い切りいくだけだ。最前列に並んだ者だけにそれは許される。いけ、頂点を目指して!!!

決勝での奇跡のドラマを我々は待ってるぜ!!!

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2004.05.09

琢磨は凄い、日本人最高の予選3番手をゲット!!!

2004年5月8日、F1第5戦スペインGPの予選が行われた。そこからビッグなニュースが飛び込んできた。BARホンダの佐藤琢磨が3番手をゲットしたというのだ。これは自らの記録を超え日本人最上位グリットを更新したことになる。琢磨23戦目、この日、世界で3番目に速い男になった。表彰台はもちろんのこと優勝をも狙える位置にようやく辿り着いたのだ。スタートに定評がある琢磨、タイミングさえ合えば逃げも打てる。あとはタイヤとシャーシのパフォーマンスを存分に使い切るのみ、表彰台のトップを目指してさぁスタートだ。

5月9日、我々は「カタロニアの奇跡」を目撃する!!!

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2004.05.08

セナの軌跡~激突死から10年~

「音速の貴公子」アイルトン・セナ・ダ・シルバの生涯★

<デビュー前>
●1960年3月21日
ブラジルのサンパウロに生まれる。
家族は自動車整備工場を営む父ミルトン、母ネイジ、姉ビビアン、弟レオナルド
ブラジルにおいては比較的裕福な家庭環境のもとで育ったといえる。
レースとの出会いは4歳、父からプレゼントされた手製のゴーカートで競争に熱中。
●1973年
インテルラゴスのカートレースで優勝。
ブラジル選手権を4回、南米選手権を2回制覇、「南米では敵なし」といわれた。
●1981年
家族の反対を押し切りヨーロッパへ渡る。速く走るための才能と、人一倍の努力で英国でもすぐに頭角を現す。
F・フォード1600で20戦12勝、18回表彰台に上がり、国内選手権を制覇。
●1982年
FF2000で27戦21勝、英国とヨーロッパの2選手権のチャンピオンになる。
●1983年
F1の登竜門といわれるカテゴリーにステップアップ。
英国F3で20戦12勝、ライバルのマーチン・ブランドルを下し、チャンピオンになる。
また、F3のマカオGPでもポールポジション(PP)を含む完全優勝。
「10年に一人の逸材」といわれる。
F2(現在のF3000に当たる)を飛び越しF1へ、いよいよ世界へ羽ばたくことになった。

<1984年>
トールマン・ハート ランキング9位(13ポイント)
ワールドチャンピオン=N.ラウダ(マクラーレン)
世界で最も難しいとされるモンテカルロサーキット。このモナコGPでは絶望的な13グリット、そして大雨という最悪のコンディションながら驚異的な追い上げを見せ、次々と強豪たちをパスして2位に上がった。このレースは中盤に雨で中断され2位に終わったが、続行していたらトップのプロストをとらえるのは時間の問題だったと語り繋がれている。これこそが幻の初優勝であり、モナコマイスター伝説の序章でもある。

<1985年>
ロータス・ルノー ランキング4位(38ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(マクラーレン)
第2戦ポルトガルGPで自身初となるポールポジション(PP)獲得。また、モナコ以上の大雨となった決勝では異次元の走りを見せ、圧倒的な大差でF1初優勝を果たした。これこそが前人未到の65回のポールポジション劇の幕開けであり、雨のセナ伝説の誕生の瞬間でもある。
成績:PP7回、優勝2回

<1986年>
ロータス・ルノー ランキング4位(55ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(マクラーレン)
成績:PP8回(通算15回)、優勝2回(通算4勝)

<1987年>
ロータス・ホンダ ランキング3位(57ポイント)
ワールドチャンピオン=N.ピケ(ウィリアムズ)
成績:PP1回(通算16回)、優勝2回(通算6勝)

<1988年>
マクラーレン・ホンダ ランキング1位(90ポイント)
ワールドチャンピオン=A.セナ(マクラーレン)
念願のワールドチャンピオンに。セナはとうとうF1の頂点に到達した。
成績:PP13回(通算29回)、優勝8回(通算14勝)

<1989年>
マクラーレン・ホンダ ランキング2位(60ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(マクラーレン)
成績:PP13回(通算42回)、優勝6回(通算20勝)

<1990年>
マクラーレン・ホンダ ランキング1位(78ポイント)
ワールドチャンピオン=A.セナ(マクラーレン)
2度目のワールドチャンピオン獲得
成績:PP10回(通算52回)、優勝6回(通算26勝)

<1991年>
マクラーレン・ホンダ ランキング1位(96ポイント)
ワールドチャンピオン=A.セナ(マクラーレン)
8月5日に敬愛していた本田宗一郎氏が死去。その4日後に開幕した第10戦ハンガリーGPでは喪章をつけて予選のポールポジション(PP)を含む完全勝利。見事に弔い合戦を制したセナはそのままの勢いで、宗一郎氏に捧げる3度目のワールドチャンピオンとなった。
成績:PP8回(通算60回)、優勝7回(通算33勝)

<1992年>
マクラーレン・ホンダ ランキング4位(50ポイント)
ワールドチャンピオン=N.マンセル(ウィリアムズ)
ハイテクで完全武装したウィリアムズ・ルノーを驅る「無冠の帝王」荒法師の異名を持つN.マンセルがグランプリを圧倒、そんな苦境だけになおさらセナのドライビングが光った。その象徴とも言えるのがモナコGPでのマンセルとの死闘である。残り、8周、マンセルがタイヤ交換でピットインした機会にセナがトップに出た。ラップタイムで1秒以上も上回るマンセルがあっという間に追いつき、猛チャージをかけたが、そこはモナコ、モンテカルロ、抜けそうでも絶対抜けない。セナがホンダパワーを生かし、グリップを失ったタイヤで猛攻をしのぎ、見事に優勝を飾った。これこそセナがモナコマイスターと言われる所以であり、いまだに語りぐさになっている伝説である。
成績:PP1回(通算61回)、優勝3回(通算36勝)

<1993年>
マクラーレン・フォード ランキング2位(73ポイント)
ワールドチャンピオン=A.プロスト(ウィリアムズ)
ホンダがF1を休止し、エンジンがフォードに変わり、プロフェッサーの異名を持つプロストが復帰したウィリアムズ、進化し続けるM.シューマッハーのベネトンと比べるとマシン的には苦しくなったが、それでもセナは常に第一人者の貫祿を見せつけた。第3戦ヨーロッパGP(英国ドニントンパーク)では、セナは雨の中で幅寄せされて4番手から5番手に落ちながら、1周目にベンドリンガー、シューマッハー、ヒル、プロストをずばずばと追い抜いてなんと優勝してしまう。このオープニングラップはF1史上最も偉大な瞬間として、あまりに劇的なその走りは伝説となっている。
成績:PP1回(通算62回)、優勝5回(通算41勝)

<1994年>
ウィリアムズ・ルノー ランキング 位(  ポイント)
ワールドチャンピオン=M.シューマッハー(ベネトン)
第3戦サンマリノGP、前人未到の65回目のポールポジション(PP)からスタートしたセナは、事故による再スタートから7周目、シューマッハーの目前でタンブレロコーナーに激突。偉大なドライバーの死がイモラサーキットに伝わりその衝撃が世界中を駆け巡ったのは、皮肉にもシューマッハーの開幕3連勝を祝うセレモニーも済んだ夕方であった。
成績:PP  回(通算  回)、優勝  回(通算  勝)

<199x年>
フェラーリ ランキング 位(  ポイント)
セナはフェラーリのF1ドライバーになることが夢だった。
成績:PP  回(通算  回)、優勝  回(通算  勝)

<199x年>
ホンダ ランキング 位(  ポイント)
F1活動を休止するホンダの責任者に、別れ際「自分はまだ若いからもう一度ホンダに乗せてくれ。」といったらしい...
成績:PP  回(通算  回)、優勝  回(通算  勝)

<セナに捧げる>
伝説になった音速の貴公子アイルトン・セナ・ダ・シルバは我々の心の中で生き続けている。ミハエル・シューマッハーがほとんどの記録を塗り替えて史上最高のドライバーの名誉を得た今でも、セナの記憶は色あせることはない。それどころか、ますます輝きを増してくるだ。あの悲劇からはや10年がたつが、悲しみ自体は時とともに鎮まることもあるかもしれないが傷跡は消えようがない。だからこそセナの記憶を心の中で大事にし続けるのだろう。イモラサーキットがF1カレンダーから消える日が来ても5月1日という特別な日を我々は決して忘れはしない。

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2004.04.09

琢磨やったね。トップタイム!!!

F1を見るようになってどれぐらい月日がたつだろうか?

そういえば、シルバーストンにマンセルを応援にいったのは15年以上前になるのか。悲劇のヒーローが本当にヒーローになったあの日、確かに俺はあの場所でその事を共有していたはずだ。あの数年は見ていてホントワクワクドキドキするすごいレースばかりだったような気がする。それを知っていたってなんの得もないけど、心が血湧き踊る瞬間がF1にはあった。確かに存在してた。夢を見させてくれたよ。F1ってすげぇ~なぁ~ってね。

夢が見られないF1なんておもしろくないなって、リアルタイムに見ることがなくなってTVも見ることさえしなくなって、ただトーチューだけは買い続けF1の新聞記事で満足するようになってどれぐらいたつだろうか?

そうだ、結婚してからだからもう数年以上たつわけだ。そうか、俺って夢見なくなってたんだな。今ならはっきり言えるよ。こいつなら夢を見させてくれそうだって。琢磨、そう佐藤琢磨、BARの若き天才レーサーさ。開幕からあまりいいところがなかったけど少しだけその片鱗は見せつけてた。そう信じてTVのスイッチを入れたっけ。

今年はなにかが起きるに決まってる。2004年4月7日、スペインのカタロニアからその知らせは飛び込んできた。琢磨がテスト走行でトップタイムをマークしたってね。嬉しいじゃないか。こんなにドキドキするのはホント久しぶりだよ。

今年のF1に期待してくれ!!!
きっと夢を見させてくれるよ。琢磨が(^^)v

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